【教育の原点回帰】寺子屋での教育が究極。中庸・大学のような人間学を再構築すべきでは

2022-03-25    611   1527 この記事はYoutubeにて同じ内容のものが公開されております

寺子屋


読み書きそろばん+哲学・人間学を学ぶ。専門性は個々の自由選択。
これが究極の教育ではないだろうか?という教育のテーマです。

さっそく、哲学・人間学の参考として、昔の書物を2つ見ていきます。

『大学』と『中庸』は、儒学の経典『礼記』に収録されていたもので紀元前にできたもの。2000年以上前から教科書のような存在。

<大学>


昔は特権階級の貴族だけが学ぶもので、いかにして統治を維持して、人びとの間に平和をもたらすことができるかを研究するもの。

<中庸>


中庸とは「片寄らず、調和がとれていること」といったもので、リーダーシップにとっても生き方や健康にとっても大事な要素です。
「中庸の徳たるや、それ至れるものなり」孔子のお言葉。
なにごとをするにも、やりすぎてはいけない。そうかといって遠慮しすぎるのも良くない。
ほどほどに行動するということが、最高の人徳というものである。
中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しいとされています。


中庸より
広く学び、審(つまび)らかに問い、慎みて思い
「正しさを求めて広く学び、分かるまで尋ねて調べる。分かったことをどのようにすればよいか静かに考える」


大学より
富は屋(おく)を潤し、徳は身を潤す。心広く体豊か、君子意を誠にす
「富は家を立派にするように、徳はこの身を立派にする。心広ければおおらかに、君子は心にゆとりを持つべきである」

好楽あれば、則ちその正を得ず。憂患あれば、則ちその正を得ず
「好み願う情があると、心は正しきを得ず。憂いの情があると、心は正しきを得ない」

解釈には幅があり絶対の正解はありません。大まかな解釈の正解はあるけど、細かい部分の解釈は人によって多少差があります。

伝説の経営者・本田宗一郎の講演にて
「寺子屋時代は読み書きそろばん。あと一番大事な人間的なもの。この4つを教えていた。」

昔の小学・中庸・大学といった学びの書の中身は哲学・人間学です。
どうして、現代教育は肝心要の人間学を取っ払ってしまったのでしょうか?
道徳の授業は点数にならないからといって、どうでもいい扱いになっています。

孔子は、自分自身を知ることの大切さを次のように説いています。
よくその性をつくすことを為す。よく人の性をつくせば、すなわちよく物の性をつくす。
自分がどのような人間であるのかを知っている。自分の個性を知れば、他人のこともよくわかり、それを発揮させようとする。
そうすると、万物の性もよくわかるようになる。

中庸より
和すれどもしかも流せず
「人々と協調はするけれども、信念を失って世間一般の風潮に流されないことが大切」
今の世間はどうでしょう?多数派の国民がメディアに流されっぱなしです。

中庸より
己を正しくして人に求めざれば、則ち怨み無し
「自分自身を正しくして、人に求めることをしなければ、怨むこともない」

やたらインフルエンザのお注射とマスクを嫌ってる人がいますが、気付けるかどうかは本人の課題です。他人が首を突っ込むことではありません。大切な家族を守りたいから、目を覚まさせたいという気持ちは分からなくもないですが、信者の目を覚まさせるという行為は危険です。逆に恨まれるという結果に終わることが多いでしょう。権威主義の人は従順で真面目にお国を信じる。それも一つの方向性です。

権威主義の方は基本的に情報不足で、既得権益・タックスヘイブン・トリクルダウン・学閥・組織票・大衆操作・B層といった用語を見たことも聞いたこともないのでしょう。聞いても調べなかったらおしまい。情報弱者や考えが偏りやすい人は、見たいものしか見ないのです。

「人は見たいものしか見ない」「人は自分の望むものを信じたがる」
古代ローマ帝国・政治家が残した言葉です。これも人間学。昔も今も人間心理はさほど変わらない。

思い込みや先入観で、自分の都合のよい情報ばかり集めて判断するのではなく、幅広く情報を集める必要があります。根拠やデータを調べてみたり、色々な違う角度から考えて、客観的な判断に繋げる。確証バイアスにより「自分は正しいだ」と思い込んで、偏った判断をしてしまうと、差別につながります。

2年以上マスク社会が続いていますから、「マスクなんかするな」「マスク外せ」と言いたい気持ちは分かりますが、政府がマスクをしなさいと言ってて、それを守ってるだけですから。マスクしてる人は悪気がありません。マスクをしている人達の心理を理解すれば、何にも気になりません。

権威主義の人は権威を持つ人の言葉しか信じられないので情報不足です。インターネットは嘘ばかりだと思ってる人は、ネットを全く理解できていません。IT社会についていけないのです。「ウイルスとの共存。日々免疫の軍事訓練」という結論に至った人は、正しくネットを活用できています。非学閥のテレビに出ることがない何人もの教授達の意見を聞いた上での結論なのですから。

権威主義の人は、御用学者という用語を知りません。
テレビにたくさん出てる教授=偉い人・信頼できる人。というイメージで生まれてからずっとやってきたわけですから、一般庶民がその逆説を唱えても、説得できるケースは稀だと思います。

「己を正しくして人に求めざれば、則ち怨み無し」
人に求めることをしなければ、怨むこともない。中庸はこのように教えてくれます。

マスク・お注射反対派の人は、一般市民同士で争うのではなく、根本治療を心がけてほしい。
誰が従順な国民を操ってるのですか?そこを攻め立てましょうよ。

最後に、中庸の一節「人をもって人を治む」
人間の道をもって人間を治めることが最上の政治。

人間学なき、現代教育。人間の道から外れた、欲望まみれの社会。
度を超えた西洋文化と資本主義と言う名のお金持ち主義。
調和が崩れすぎて、社会も人間も病んでいます。

この病気に抵抗する処方は教育改革。

道徳が「特別の教科」として、小学校では2018年度から、中学校では2019年度から全面実施されたようです。最大の目的はいじめの防止なので、哲学・人間学というレベルではなさそうです。結局、道徳であっても、詰め込み教育スタイルでないと対応できる教師がなかなかいないものですから。

江戸時代の寺子屋のように読み書きそろばんと哲学・人間学を学び、専門分野への関心は個々の自由。
これが究極の教育ではなかろうか?
現状は小卒で十分。それ以降は人間学を学ぶ。これが原点回帰の教育法ではなかろうか?
またまた学校不要論に行き着いてしまいました。

というのも、10年以上学校で先生に勉強を教わるって長すぎだと思いませんか?
「勉強は先生に教えてもらうもの」「勉強はお金を払って学校で学ぶもの」という既成概念が蔓延(はびこ)ってるんです。
あらゆるクリエイティブがネットで学べる時代だということを把握してない。先生に直接教えてもらわないとダメ。という発想の人ばかり。

ちなみに僕は、中学以降は全く授業を聞かず、漫画・ゲーム・プロレス・ジャッキーチェンの映画にとことん夢中でした。なので小卒だと思ってます。中学以降の授業の時間が無駄でしかなかったので、悔いが残っていますが、「手に職をつける」という考えの方向性は間違いではないと確信しています。

25歳からフリーランスになり、好きな時間に仕事をして、好きな分だけ仕事を受注する仕事のスタイルに至りました。
1日8時間労働の時と比べるとかなり気楽です。日曜の夜の「明日からまた仕事やー」っていう絶望がありませんから。

カテゴリ: 真理の追求

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