日本では正義を公正と訳している本もある(かたよりがなく正当なこと)

2025-02-10    70   83

正義について考えることは、人はなぜ争うのか?に繋がり、
その根本原理、人間心理を探っていくと、人間関係を円滑にするには?に繋がり、大いに生活に直結するわけで、
全然、どうでもいいってことではないと思う。
かといって真剣に考えすぎてもきりがないので、ざっくり学んでおこうという感じです。

ショーペンハウアーの著書の中で、日本語訳の際に、正義の部分を「公正」と訳してある本があるそうです。
それを聞いてなるほどな!と素晴らしい訳し方で、上級者向けだなーと
これがどうしても理解できない人は、自分が絶対正しい症候群の偏り人間。
あるいは、非常に狭い価値観に捉われている。何かを強く強く信仰している。
とにかく自分が正しい正しいと信じていると、自分が偏っていることに気付けない。
誰もが、「人間はなぜ偏りやすいのか?」を学ぶ必要があります。
究極をいうと、どうしても偏り気味になります。
非感情に分け隔てなく客観視することができる人はバランスが保てます

正義=公正、公正=中道
優柔不断ではなく、公正に判断することを意識する。別に意識あんんてしなくても公正な人は公正ですが、
公正ではない人は意識するしかありません。

なにかを強く信じ切って、偏り切ると全くもって公正とは遠ざかる。
周りから異常に見られる。変人・異常者でも人気がある人は人気があります。
それは、押し付けがましくなく、誰にも迷惑かけずに変な事を楽しんでるから。

ダメな異常者とはどういう人物像か?柔軟性が全くないこと。柔軟性がなくなると不寛容になる。
自分と違う価値観の人を許せなくなる。
自分が絶対正しいという妄想が止まらず、自分のちっぽけな正義を押し付けようとする。他人を理解しようとは一切しない。
狭い価値観の狭い群れに属していると、その異常性に気付けないし、変われない 

だからこの手の性質の方は、「不安・焦燥」が頭にこびり付いて、おかしな妄想をし続けます
危機意識を持つことは大事だけど、併せて楽観するには、自分に根拠のない自信を持てるかどうか。
  未来がどうなる?の比重が大きすぎると妄想をし続けることとなります。

不安だから群れたがる。群れるには組織の考えに背いてはいけない。
偏り切った組織は偏り人間の寄せ集めになるだけ。世界観が狭い狭いカルトに至る
中道で公正であれば、カルトにはならない。自分都合の隠ぺいはしない、
自分にも徹底して公正を保つには、客観視あるのみ。自分を捨てる、我を捨てて、俯瞰あるのみ

「自分は偏り切った思想を持っている」と自覚した上で、熱狂してる人は、おそらく他人に害は及ぼさない。
行儀の良い信者さん。割とこのタイプの方が圧倒的に多いと思うんですけど、足をひっぱるのは自覚できない人
自覚できないほどのトンマだから、声もでかったりするんです。
ごく一部、ヤベェ奴がいるのは仕方ないけど、それが偉そうに幅を利かして、
誰もその声のデカイ害悪な人間にモノを言えなくなる。
公正でない人、知恵のない人の正義は、社会悪。

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カテゴリ: 哲学

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