【死生観】輪廻転生を受け入れる。安楽死の必要性。命はかけがえないの一点張りは未熟

2022-02-23    672   1697 この記事はYoutubeにて同じ内容のものが公開されております

輪廻転生×死生観


仏教の思想は民の生活の中に息づいています。
民の生活に自然と馴染んでるような考えが多いので、
歳を重ねて性格が丸くなっていくと共に、
落ち着いた仏教の言葉に共感することが多くなってきます。

その仏教の中で有名な「輪廻転生」というワード。
死んだら、魂は別の新しい身体に宿り、生まれ変わるんですよ。
今の行いが来世に関係してくるので、清い心で生きてくださいね。といった考えです。

僕はこの考えをすんなり受け入れています。
よりよい死生観を持つ為ために、輪廻転生という言葉があるのではと解釈しています。

死んだら人間の意識・魂というのはどうなるんだろう?そんなの一生懸命考えても答えは出ませんよね。
別にそこに科学的根拠とやらは必要ありません。
「死んだら生まれ変わる」というのをフワフワっとあえて信じておこう。そんな感じです。

輪廻転生の思想のおかげで、死に対してそれほどネガティブではありません。
80歳くらいになれば、細胞が衰えて能力低下で生きてるだけツライ状態になりますから、そうなったら生まれ変わりたいものです。

だから延命治療は反対派で、助かる見込みのない耐え難い苦しみの病気や、生き恥をさらすことになる認知症は、
本人や家族の為にも安楽死という選択ができる世の中になってほしいです。
どうして最期まで苦しみぬかないといけないのか?すごく疑問に思います。
「生きてるだけでツライ」という状況の高齢者に対して、「命はかけがえのないもの」という理屈はいかがなものでしょうか?


武田邦彦大先生が幾度かこのような話をされています。
「男なんて50歳すぎたら生きる価値なんてない。」
「命自体に価値があるわけではなく、その命が周りの命と関係している場合は価値がある」

この発言は理解力に乏しい人からすると、とんでもないことを言うなと思うかもしれません。
言葉のまましか受け取ることができない、本質に興味のない人には、理解しがたいでしょう。

武田先生は極論的に、生殖機能を果たせない男は、生物的には生きる意味がないと表現をしただけで、
社会貢献ができる人の命は何歳になっても価値があります。
でも、加齢で能力が衰えて、介護が必要になった老人の命に価値があるかと言われたら、ハッキリいってないと思います。
これはサイコパス的な発言ではなく、まともな精神であればそう思うはずです。
介護されるということは、他人の時間を奪うことになりますから。

もし、「まだ死ぬわけにはいけない、わしにはやるべきことがあるんだ!」っていうなら応援しますけど、
もう介護が必要な状態の人は、十中八九生き続けたいなんて思ってません。

70・80にもなれば、やることがなくなって、何にも楽しくない。
耳が遠くなりすぎると、テレビを大音量で見るわけにはいきませんから、一気に弱っていきます。
そうなると人間の身体は「ああ、もう終い時だな」という反応をして、
肉体の全身に分布されている細胞が弱まっていき、身体能力が低下し、寝たきりになる。
天からのお迎えが早くこないかなぁと、待ってるだけの状況になります。
誰もが最後はそうなりますから、別に哀れに感じることはないし、悲観的になることはありません。

しかし、死生観が未熟だと、「生きてるだけでつらい」「早く楽になりたい」という当人の気持ちを一切考えず、
ただただ「命はかけがえがない」の一点張りで、延命治療など誤った方向にいってしまいます。

医師の安保徹大先生もこう話していました。
「老人の世話なんか一生懸命しなくていいですよ。若い人の時間の方がずっと大事ですよ」

この当たり前のことが「命はかけがえがないの一点張り」で死生観が未熟過ぎる人達には、理解できない。

老人の終末期というのは、それはそれは哀れな姿になりますから、残された人は哀れ過ぎる姿に愕然とします。
しかし、そこは楽観的に考えるべきです。
老人はもう十分に人生を謳歌した後なんです。そして誰もが最後は弱り果てて哀れな姿になるんです。
輪廻転生。次の人生に旅立つんだなぁ。
いいなぁ私も早く生まれ変ってピチピチの頃からやり直したいなーくらいに思って、看取ればいいんです。

高齢者の終末期に限っての安楽死の必要性は、議論の余地なしだと思いますが、
「命はかけがえがないの一点張り」が多数派である限り、
日本ではこの先ずっと、安楽死の法律は前進しないだろうと思われます。非常に残念なことです。

一応、終末期医療では最終手段として、鎮痛という意識を無くして、耐え難い苦しみから完全に開放する処置ができるんですけど、
それはさんざん苦しんでモルヒネも効かない状況になったら使える処置なので、安楽死とは程遠いです。

抗がん剤・手術・放射線の3大治療を行った患者は、最後の3ヶ月間は非常に苦しみます。
そして最後の1週間はのたれうちまわって苦しみます。
これは全てのケースに当てはまることではないですが、少なくとも僕の祖父はそうでした。
尋常ではない苦しみ方でした。それを見てしまったので、自分のためにも「安楽死」はあってほしいと願うようになりました。

ニュージーランドでは2020年に賛成65%で安楽死が合法化となりました。

<条件>


・18歳以上対象
・余命半年以内
・緩和できない耐え難い苦痛
・本人の意思
・医師2人が認めた場合

個人的には60歳以上限定でもいいかなと思っていたのですが、18歳以上対象ということです。
安楽死反対派の最大の主張は「安楽死を強要する社会的圧力が生まれる」という点です。
ニュージーランドの5つの条件を見ると、条件が厳しいので、その心配はないと思います。

余命半年以内という条件がちょっと残念に思います。
なんせ寝たきり後の平均寿命は10年ですからね。

人口1億2000万の寝たきり天国日本と、人口500万人のニュージーランドでは、異なりすぎるので大した参考にならないですが、
安楽死が合法化されたというニュースを見るたび、心が癒されます。
寝たきり天国の日本で、もし合法化されたら、1000万人ほど泣いて喜ぶ人がいると思います。

「NHKぶっ壊す」に絞った政党も素晴らしいですが、
「安楽死合法化」を目指しす党も出てきてほしいものです。

カテゴリ: 哲学

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